ワークショップ リレーレポート 南田 明美氏 第二弾
日本センチュリー交響楽団とハローライフが協働して行う就労支援プログラムmusic project「The Work」。2014年からスタートして、今年で3年目の開催となりました。今年は、日本センチュリー交響楽団がプロデュースをする「音楽創作ワークショップ」とハローライフがプロデュースをする「ハローライフワークショップ」を交互に行い、4月より約3ヶ月間で全12回のワークショップを実施します。現在、7月の作品発表コンサートに向けて、参加者の皆さん、日本センチュリー交響楽団の楽団員の皆さん、作曲家の野村誠さん、スタッフが一体となりプロジェクトが進んでいます。
このエッセイは、文化政策や障がい者支援など、様々な分野で活躍されている方々をレポーターとしてお迎えし、ワークショップの内容とご自身の専門分野を結びつけて、自由に書いていただくリレー形式のレポートエッセイです。各レポートを通じて、より多くの方々に「The Work」の取り組みを知っていただき、ワークショップの中で起こっていることはもちろん、オーケストラの活動や就労支援におけるこれからのあり方などを考えるきっかけになればと思っております。
第3回のレポーターは、前回に引き続き、神戸大学大学院国際文化学研究科 博士課程後期課程に在籍中で、オーケストラのアウトリーチ活動やシンガポールのコミュニティ・アート政策の研究をされている南田明美(みなみだあけみ)さんです。
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第3回
参加者の同世代として見る<コミュニティ>としての「The Work」
-南田明美(神戸大学大学院国際文化学研究科 博士課程後期課程 芸術文化論コース)
前回(5月31日のワークショップ)のレポートでは、音楽学的立場からこのワークショップを報告した。今回は、文化政策を勉強する者として、そして参加者の同世代として、「The Work」に現れる<コミュニティ>について考えてみたい。
第4回のワークショップは、「アイデアを整理する『音楽のコロンブス』」という題名で行われた。今回は、コミュニティプログラムディレクターである野村誠氏がワークショップを主導し、皆でイギリスの作曲家ヒュー氏から送られてきた2つの「宿題」について考え、創作をする内容であった。
1つ目の宿題は、「Deep Time」というテーマで90秒間の美しい音楽を作るというもの。もう1つは、「この世界から、生物が死に絶えていく感じ」を表現するものであった。後者は、ヒュー氏がハイドンの交響曲第45番《告別》から着想を得たもので、最初は皆で音を鳴らすが、1、2分経ったところで、1人ずつ演奏を止めていき、最後にはすべての音がなくなるという構成である。
この日最初に行われたワークショップでは、参加者と野村氏、楽団員の9人で、1台のグランドピアノを使い、「Deep Time」を創作することになった。3つのグループに分かれ、順々に演奏する。皆、グランドピアノに頭を突っ込みながら、マレットやペットボトルで弦の部分を叩いたり、ピッチカート奏法(指で弦をはじく奏法)を用いたり、各々思いつくままにピアノに触れ、「Deep Time」を表現した。参加者らは、他のグループが奏でる音に耳を傾けながら、自分はどういう音を出そうかと考えているようであった。
その後、遅れてきた数名の参加者も加わり、オーケストラで使用される楽器と野村氏が持参した打楽器を使って、皆で「Deep Time」を演奏。自分のグループの番には、各人が思いのままに「Deep Time」の音を鳴らした。
楽譜があるわけでもないし、構成が決められているわけでもない。しかし、それがよかったのか、参加者は初めて触る楽器であっても、30秒間、即興で自分が心地いいと思える「Deep Time」の音を出そうと、他者が表現する音と自分が表現する音の両方に耳を澄ましていた様子だった。たとえば、ある男性は、1度目の練習で「この音は、自分が表現したい音となにか違う」という感じで首を傾げていた。しかし、2回目は理想の音に近づいたようで、彼からは笑顔がほころびた。
この日は、楽団員の提案で、議論の時間を設けることになり、「Deep Time」をより深く表現するために「時間とは何か」について10分ほど皆で話し合った。野村氏が、インドネシアの時間感覚について話すと、参加者から「パラレルワールドはあるのか」「蛾はなぜ同じところにずっといられるのか。時間感覚の問題か」「谷川俊太郎のように大人になっても少年の心を持ち続けられるのはなぜか」「大人になると時間の流れが早くなるのはなぜか」「台湾の時間の流れ方が日本と違うからか、懐かしい匂いがした」など、ひっきりなしに時間に対するイメージや想い、疑問が出てきた。皆、傾聴して頷き、それを受けて意見を出そうとしている様子が伺えた。6月7日に行われたハローライフワークショップでの意見交換で分かったことなのだが、どうやら参加者の中で「本音が言えた」、「自分が思っていることを素直に言えるようになった」、「こだわっていたものをぶち破れた」という感覚が芽生えてきているようだ。
前回と今回、ハローライフワークショップを見学して、直観的に感じたことがある。それは、参加者の皆さんは「素直でまっすぐな方が多いな」ということだ。話を聞いていると、ゴジラ、都市社会学、陶芸、美術、吹奏楽など、自分の好きなことをしっかりと持っている。いわば、普段の会話や自己紹介での「話のネタ」がある。たぶん確固たる自身のアイデンティティもあり、個を尊重する優しい心を持ち、意見もしっかりと言える能力を持ち、かつ潜在的には「人好き」な人が多いように見受けられる。「何か表現したい!」というエネルギーも音楽ワークショップからすごく伝わってくる。だからこそ、彼らはこの「The Work」の扉を叩いたのであろう。
それにもかかわらず、事前アンケートでは、他者とのコミュニケーションが苦手という方や職場の人間関係に悩んでいる人が多かった。なぜなのか。
今回のワークショップを見ながら、筆者は、コミュニティ論の古典書であるテンニエスの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』を思い出した。ゲマインシャフトは「共同社会(Community)」、ゲゼルシャフトは「利益社会(Civil Society)」と訳される。それらの人間関係のあり方の違いが、彼らの抱える問題に繋がっているのではないだろうか。
つまり、人は、自然的本能として、相互に無償の愛や慈しみを与え肯定し合う「ゲマインシャフト的結合=コミュニティ」を求めている。一方、経済的資本を基盤とする利益社会(ゲゼルシャフト)では、人は、あらゆる結合をするにもかかわらず分離しつづける。その人間関係は、「契約」によって成立している無機質な利害関係である。ときに人は、「契約」にある義務を遂行するために擬似的人格を作りださなければならない。その状況は、人々に孤独感と不安感をもたらす。
参加者の同世代として感じることは、我々の世代は今まで以上に「契約」としての人間関係を強制されていることだ。それは、とりわけ、人との競争を求める新自由主義の広がりによる。近年は、創造産業という人々のアイディアを基盤とする産業構造や、創造都市という人々の多様性を認める都市のあり方が脚光を浴びている。しかし、それでも実生活では「A=A」でなければならず、「A=B」や「A=C」は許されないことが多い。その原因をテンニエスの理論を借りて言うならば、利益社会が資本家のために存在し、資本を持たない人々を「死せる道具の如きもの」へと変え、奴隷化するからであろう。※1 つまり、利益社会は、一般の人々の人間としての感性をそぎ落としていく。それにもかかわらず、資本の集積場である都会に生きていると、相互扶助的関係を持つ<コミュニティ>に出会うことが難しい。感性を回復する場、自分を素直に出せる場がないのだ。だから、自分をちゃんと持ち、感受性の強い参加者らのような人々は、このような社会で生きていくことへの悩みや苦しみを覚えるのであろう。
そのような中で「The Work」は、彼らの感性を取り戻す場所として機能しているようだ。ここには、「資本」や「契約」、「義務」を伴わない。彼らは、純粋に、野村氏や楽団員とともに音楽を奏で、自分の表現を追求し、語り合う。ここは、彼らにとって「居心地のいい場所」あるいは「安全地帯」となる。だからこそ、彼らは素直に発言ができ、恐れず「新しいこと=楽器の演奏」にチャレンジができたのだと、私は思う。
成果発表のコンサートまで、ワークショップはあと1か月間続く。感性を取り戻しつつある彼らの音楽が、どのようなものなるのか、楽しみである。
※1テンニエス(杉之原寿一訳)『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト:純粋社会学の基本概念(上)』、1957、岩波書店、p.125。
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南田明美(みなみだあけみ)
2007年より6年間センチュリー・ユース・オーケストラに在籍。2009年大阪音楽大学(トランペット)卒業。2011年神戸大学発達科学部人間表現学科表現文化論コース(音楽学)卒業。神戸大学大学院国際文化学研究科博士課程前期課程を経て、神戸大学大学院国際文化学研究科博士課程後期課程に在学中。現在の研究テーマは「シンガポールのコミュニティ・アート政策はコミュニティ/市民社会/ナショナル・アイデンティティを変容させるのか」。主な論文に「国家威信が重視されたオーケストラの文化政策とアートマネジメントのジレンマ-シンガポール交響楽団を事例として-」(『文化経済学』第12号第1号)がある。